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がき

Author:がき
日本海、和歌山、明石・・・
関西の海を中心に活動し、ときに遠征にも出かける。
ジギングをメインにしているが、美味いお魚を釣るために、特にジャンルは問わない。チームGACHI所属

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あれから2年5か月 東北の夏

先日お知らせしたとおり、夏休みを利用して東北に出かけてきた。

まぁ、他人の旅行記なんか読んでも面白くないと思うので、ダイジェストで綴っていこう。

朝に車で自宅を出発
約700キロ走って、初日は福島県合津若松市

会津若松といえば、ご存知のとおり放映中のNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台となる場所である。

さすがに街中は、町興しの「八重の桜」一色


綺麗にライトアップされた市役所庁舎

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駅前のホテルにチェックインし、夕食は会津料理と地酒を堪能する。

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翌日は朝から鶴ヶ城

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その後、白虎隊の墓と自刃の地まわり、喜多方ラーメンを喰って移動


次の目的地は、約200キロ走って日本三景で有名な松島

夕食までの時間に、夕日に照らされる絶景を堪能

「出会い橋」と言われる全長250mの福浦橋

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(今更「出会い」は無いが、これで多くのお魚に出会える筈である。)



五大堂

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激走のブロス君は、しばし休息

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晩飯は、板長お勧めの絶品料理

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この他に、刺身盛りとひとりに1尾づつ金目鯛の煮付けが付く

贅沢な話であるが、その量の多さはまさに「食の拷問」であった。





そして3日目


さらに約50キロを北上して宮城県石巻市

被災地である、この地に暮らす友人を訪ねた。
ここからが今回の旅のメインである。


わし自身、被災地に入るのは3度目となる。
1度目は、発災後すぐに公務で災害支援として
2度目は、ボランティアとして


今回は、友人に案内を頼み、被災地の現状を見に行ってきた。

友人とそご家族は、幸いにも無事であったが、親戚の方が4名犠牲になられた。
また、職場の方も6名が犠牲となり、そのうち4名の方が未だ行方不明となっている。

友人の車に乗り換えて、いろいろな話を聞きながら被災地を回った。
そして改めて、その被害の大きさと痛ましさに言葉を失った。



現地を見た感想は・・・

正直に言うと、2年と5か月経った今も復興は少しも進んでいないと思った。



石巻港近くの高台にある日和山公園から、旧北上川の河口を望む

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前回来たときは、一帯にがれきが山積みになっており、あちこちに骨組みだけになった建物や流された船に車が放置れていたが、さすがにそれら片付けられ、道路も整備されて新しい建物も徐々に建てられているが・・・

かつては賑わいを見せていたであろう町は「何も無い」
そこにはこうだったと言われなければ、元々何も無かった所なのだと思ってしまう。
草が生い茂った場所をよく見ると、建物の基礎らしきものがあるのに気が付く



昼食は、日和山の上にある、地場の魚を喰わせる寿司屋で美味い寿司をご馳走になった。

店が津波にやられ、この場所の仮設店舗で再開されている蛇の目寿司さん

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大将からも、とても貴重なお話をいただいた。

震災当日、強い揺れの後に発令された大津波警報だが、ご本人も周りの方々も「まぁ大丈夫」と思われていたらしい。
裏山の日和山に避難される時も、話ながらゆっくりと歩いておられたらしい。

そして、ふと海を見ると、せり上がった海面が凄い勢いで迫って来るのが見え、そこで初めて事の重大さが分かったという。
そして、つい60mぐらい後を歩いていた方々が悲鳴と共に次々と津波に流されていくのを目のあたりにしながら手を差し伸べることすらできなかったこと聞いた。
今、わしらが寿司を喰っているすぐ近くの場所での話である。

避難所でも、県や市が、どこに何名ぐらいが避難してることが把握できず、食糧をはじめとする救援物資が1週間届かなかったこと

大将のご家族は、非常食を持っていたけど、周りで1枚のうす揚げを家族で分け合っているのを見ると、非常食を出すことができなかったこと

町の復興も、遅々として進まないこと

田舎の町のこと、先代、先々代から土地家屋の名義変更されていない家が多く、融資を受けるにも担保を確保したがる金融機関からの融資が、その手続きの煩雑さから未だ進まないこと

店の再建を急ぐも、建設業界の人手に資材が足りず、それらの値段が高騰していること

だから、当初の設計した値段で工事ができなくなったこと

等々・・・



友人の親戚が被害に遭われた女川地区にも行ってみた。

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この地区の被害も甚大で、20m以上の高台に設けられた病院敷地も足元を波が洗ったらしい。



そして、最後に訪れたのは、事前に避難場所として指定された近くの高台に避難する途中に教員、児童を含めた84名が被害に遭った、新北上川沿いにある大川小学校

おりしもこの日は、慰霊碑の除幕式が行われており、大勢の遺族や学校関係者が来られていた。

改めて校舎を仰ぎ、教室の前に「3-1」とか書かれた札を見ると胸が詰まった。


もう沢山である。

もう、悲しい話はグラッチェである。



この大震災でもたらした被害から、政府、自治体をはじめとする防災関係機関は大きな教訓を得た。
この被害を決して無駄にしてはならない。
危機管理が、過去の悲惨な被害の上に成り立っている以上、この大震災からも多くのものを得なければいけない。

それは、わしらにも与えられた使命なのである。




復興したと言えるまでには、まだまだ気の遠くなるような時間を要するが・・・



絶対に負けるな!!


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最後に、先に載せた日和山公園から旧北上川を見た写真と同じアングルから撮られた震災直後の動画があるので貼りつけておく。

時間がある方は、是非ご覧いただきたい。

そして、決してこの震災を風化させないと誓っていただきたい。










おしまい・・・




前に、「この町が復興したとき、必ずや遊びにこよう」と書いた
そして再びこの地を訪れた。
地元の美味いものを喰って、美味い酒を飲んで、いっぱいお土産を買って・・・
微力ながら、少しでもお金を落とせればいい。
この旅行では、多くのボランティアの方々ともお会いした。
現在のボランティアは、主に福祉関係やメンタルヘルスケアに移行しているという。
支援には、いろいろな形があっていい。
必ず蘇ってほしい。
そして、もし関西に大きな災害が起きたとき
わしらの備えには限界があるので、その時は東北の皆さんの知恵と強い力でわしらを助けてほしい。

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コメント
3618:むずかしい by ヌッシー on 2013/08/26 at 21:10:44 (コメント編集)

すみません、なかなかコメント書きづらいです
キレイ事ならいくらでも書けるのですが…
でも未だ現地に立ったことすら無い私が何を書いても被災しなかった者の上から目線になりそうで怖いです
ただただ被災された皆さんには頑張っていただきたいです

3619:ヌッシーさま by がき on 2013/08/26 at 21:33:10

自分も同じです。
結局自分も被災者ではないので、しょせん見聞きした話でしかありません。
でも、必ず来るといわれる南海トラフ関係の大地震
せめて自分たちなりに、東日本の教訓を生かせればと思っています。

3620: by と〜と on 2013/08/27 at 20:29:35

お越しいただき有難うございます。
勤務する会社の本社が、堺市ということもあり
震災後、本社勤務を希望する者、叶わなく退社する者、様々でした。以前、悪名たかきフクシマと称し、ガキさんに、そうではないでしょ。とある意味一喝されました。そんななかでの東北行脚、心より御礼いたします。
あえて言わせていただきます。
フクシマは、震災後、ではありません。真っ只中です。。。!

3621:と~とさま by がき on 2013/08/27 at 21:17:02

そうですよね。
この震災、津波と原発が余分でしたね。
これらが無ければ、もっと早く復興出来たのだと思います。
自分は、震災直後、災害支援で福島の双葉町に入りました。
その道々で地元の方々から「よろしく願します」、「ありがとう」とお声を掛けていただきました。
「大変ですが、頑張ってください」と言われたとき、「本当に大変なのは、あなたたちなのに・・・」と思わず目頭が熱くなりました。
現地に向かう自分たちに、二つ折りになって頭を下げていただいた方々の姿は決して忘れられません。
あまりにも悲惨な現地を決して忘れません。
そして未だに・・・
本当に、まだまだ真っ只中ですよね。
必ず、復活することを信じています!!

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